「報復」と「予防」を主な動機として繰り返されるユダヤ人とパレスチナ・アラブ人の戦いの歴史は、戦争というものが必ずしも単純な「戦争を望む意志」によって起こされるものではないことを物語っているようです。

 彼らにとっての「平和」とは、物理的には相手に対する武器を使用した闘争を止めることであり、内面的には相手に対する憎しみと復讐心を捨て去ることを意味します。しかし、戦いの中で肉親を失った人々にとって、憎しみと復讐心の強さは、失った肉親に対する愛情の強さを証明するものでもあります。そのような「証明」の機会を捨てて、愛する家族を失った悲しみをただ心の内に封印するというのは、部外者が頭で考えるほど簡単なことではないでしょう。

 犠牲に対する報復と、それに対する新たな報復が永久運動のように続く限り、人々の悲しみは再生産され、それが新たな戦争の火種として積み重なっていきます。この連鎖を断ち切るには、一定期間における武力闘争の停止と、その間における子供たちへの「教育」しかないように思えます。「報復からは報復以外の何物も生まれない」ことを教え、なかば強制的に「平和を押しつける」ことでしか、戦争の廃絶は実現できないのかもしれません。

 日本以外の多くの国では、平和というのは、何も努力をしていない状態で、ごく当たり前にそこに存在するものではありません。並々ならぬ努力を絶え間なく継続し、戦争という不死身の怪物を扉の外れた檻の中に閉じこめ続けるという、決して終わりのない「戦い」こそが、真の「平和」の実体であるような気がしてならないのです

 

文・山崎 雅弘
出典:学習研究社「中東戦争全史」あとがきを一部修正

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